我々は普段何の疑いも無く軽い気持ちで文明の機器 飛行機なるものを利用している。今回の帰省程
ヒョンなトラブルから行きは良い良い帰りは怖いを充分味あわされたものは無かった。普段は大変な


時間と距離を短縮して移動していることを改めて思い知らされたのである。さてそんなこんなの天気
続きで帰郷しても好きな海には1度も行けず9日間同窓会みたいなもの3回星原祭り牧川祭りと祭り

2回とお客さん多数朝から晩までひたすら酒浸りとだいぶ肝臓と体力が衰弱致しました。
帰りが大変でした。OPENチケットの悲しさか行きがけに(島へ渡る前に)鹿児島空港の可愛い子の

いるカウンターでリザーブしたつもりの日付がなぜか違っていて 種子島からキャンセル待ちになる
羽目に 水中翼船 トッピーも考えましたが 飛行機よりも人気有る乗り物だからまず無理 時間は

掛かるが出島(ほんとに長崎から来た船だそうです。1000トンの 普通の客船)に乗れたとして
港までの 移動距離と 鹿児島 へ 着いて市内から 空港までの距離と時間を考慮すると難しい判断でした。

それで あきらめて 待つことにしましたが,それから 待つこと4時間 遅れること 1時間   飛び
立ったは良いが 鹿児島空港の 滑走路見えず〔視界不良〕 降りられず 福岡空港に 向かおうとしたら

悪天候の為 不可 最悪は 宮崎空港へ向う 腹を決めて 鹿児島上空の 真っ白の 何も 見えない
雲のなかを ブンブン飛ぶこと 1時間40分通常25分から30分の 道程を考えると ひどい

ものでした。これで終わりではありませんでした。鹿児島空港の 空席待ちはJAL,ANA,JAS
とも 180番台 から230番 結局 兄の家に 1泊 避難 せざるを 得ませんでした。次の日も

朝9時頃行ったら もう100番台 何せ1便につき2,3人 多くて7,8人が呼ばれる状況で
きょうも ダメだとあきらめていたのですが ものは試してみる もの JALの呼び出しカウンターの

前で 泣きそうな顔をして1日中座り覚悟でいたら  哀れかわいそうと 思ったのでしょうか はたまた
JASのチケットを持って いたのが 功を奏したから でしょうか 地獄に仏かこの娘 顔も良ければ

頭も良さそうな 係りの 女の娘が ツカツカ と 寄って来てくれて 当方の 115番とJASの
チケットを 確認すると 瞬く間に7番からの人から 始まって最後は とうとう115番までの人迄

わずか 10分位の間に 吊り上げて くれました。 115番を言われたとき JAS の チケットと
一緒にサっと出すとすぐ取ってくれました。 そしてまた 25番の 人から 始めておりました。

それでも乗れたのは 鹿児島発 最終便の 20:30 でした。いやはや こんなに 疲れた 帰京は
ここ何十年の 記憶で 初めてでした。良かった事と言えば 客人や祭りで ほんとに 懐かしい顔の

知人や 同級生と会えたこと。 年老いた 母親と ゆっくり話ができた事でした。

ほんとに遠いですよ。 千葉と 種子島は
では また